僕が初めてインターネットをやったとき
君もやったように Yahoo!で「吉田拓郎」を検索しました
そこに出たページは、数えるほどのページ
あいみや、ふぉろわーず、語る会はまだ無かったかな?
うれしくって、全部のページにいった
そして、もう一つのページのあの独特な雰囲気
一気にファンになってしまいました
あのころは、まさにインターネット黎明期
ブログなんて形式はなく、「コメント」なんて残せないから
ページの感想は作者に直接メールするしかなく
ページが更新されるたびに メールしてました
そんなこんなで、半年後ぐらいに僕がこのホームページを始めたとき、
リンクしてもいいかメールしたところ こんなメールを貰った
よくやった よく作った さあYahoo!に登録だ
そうそう、君のページをみたらカウンターが12だったよ
分かる分かる 12のうち11は君が確認した回数だね
僕に長男が生まれて、そのことをホームページで書くと
今はそんなことをしている場合ぢゃない
奥様の近くにいることだ
と しかられた。
三度ほど 直接あったことがある
一度目は 東京に出てくるというので 何処にします?と聞くと
どこも何もあそこしか無いだろう ということで ペニーレーン
その時はまだ餃子屋さんではなく、昔のままだったと思います
奥さんから
「インターネットで知り合った人なんかとあって大丈夫?
なんか売りつけられるんじゃない?」
と言われたヨ と笑ってた
二度目は 僕が大阪に行ったとき ホテルのラウンジのようなところ
名前をはっきり覚えていないけど なんとか30 という名前だった
店を出るときに ローリング30とかけたんですか?と聞くと
当たり前じゃないか! やっと分かったの? と言われた
三度目は 根津の鉄兵で
男ならに出て流星を歌ったやつや 1979大晦日のビデオを
もう見ないから と 売りつけられ ちゃうちゃう もらいました
あいみや掲示板がなくなり
「吉田拓郎関連のページで最も歴史がある」という称号を そうやすやすと渡さん!!
なんて息巻いていましたが ここんところ更新が無く寂しかったです
今日 郵便ポストに一枚のハガキが入っていました
文面を読み 名前を読んだところで
手が震え 涙が溢れてきました
彼の奥様からのハガキ
昨年 くも膜下出血で倒れ 一週間後に天に召されたそうだ
くそっ なに勝手に死んでんだよ
もっと 吉田拓郎に 拓郎ファンに 喝入れてくれよ
くうううぅぅぅぅぅ とか ちいいぃぃぃぃぃ とか
先日精密検査 ちゃうちゃう とか おっギブソンに格上げだねとか・・
もっともっと書いてくれよ
四度目に会うのは まだまだ当分先にしとくよ
その時は 借りっぱなしのビデオ持って行くから
親愛なる同志よ、さては同人よ、掛川哲郎よ
「吉田拓郎関連のページで最も歴史がある」は僕が勝手に引き継ぐよ。
また逢おうぜ あばよ
同人通信「春だったね」(吉田拓郎関連)
平成23年 1月15日
なる
最近のコメント
あそちゃん on 2023: 復活が早すぎて、いま
タカシ on 1985: 昨年12月のANNゴ
なる on 1985: タカシさん まさか
タカシ on 1985: 失礼します。 拓郎さ
なる on 1985: タカシさん 交渉中
タカシ on 1985: 興味深い話の数々、あ
星 on 1985: さりげなく書いている
なる on 1982: こたろう55さん そ
こたろう55 on 1982: オールナイトニッポン